小児科医としてブログを残していきたいと考えていましたが、なかなか進みません。もともと、コツコツ何かを続けることが苦手でした。何をしたいのか考えたときに、2024年9月の時点では、「娘に何かメッセージを残したい」。あまり堅苦しく考えずに、自分が書きたいものを書いていくだけの、日記のようなブログになるかもしれません。それはそれで良いかなとも思います。
今、病院で当直中です。今日は日中は忙しく働きました。新生児の蘇生に立ち会ったり、救急車対応をしたり。新生児対応をする時、誰にも言っていないルーティーンがあります。ここにも書きませんが、産まれてくる赤ちゃんが無事に出生後の環境に適応できるよう、強くお祈りをします。
娘が産まれる時、僕は立ち会いました。日本で新型コロナウイルスが流行り始めた頃でしたが、まだ制限はありませんでした。陣痛が始まったようだと妻から連絡をもらい、新幹線で急いで里帰り先に向かいました。当時は小児科専門医の研修中でした。東北新幹線に乗り、2時間半くらい移動します。少し興奮する気持ちと緊張、不安などが混ざった、落ち着かない感情でした。ちらし寿司のお弁当を食べながら向かったような記憶があります。妻の実家についてから、陣痛の感覚が短くないためその日は自宅待機となりました。夜の間も、妻はあまり寝ることができず、自分も浅い眠りを繰り返していました。翌日、実家からすぐの総合病院の産科を受診し、そのまま入院となりました。その病院は妻と僕が出会った病院です。医師になり、初期研修をしていた病院なので、慣れている場所になりますが、患者側での訪問は初めてなので少し変な感じがしました。産科病棟に入り、分娩室に通されました。そこから娘が産まれるまで、24時間以上かかります。入院した時は、そんなに長くなるとは予想していませんでした。売店で簡単にとれる栄養を調達し、病室ではテニスボールで妻の腰をマッサージ。仮眠をとりながら過ごしました。翌朝になって、陣痛促進剤の投与を提案され、承諾しました。子宮破裂の可能性を言われ、不安になりました。次第に陣痛が強くなり、17時14分(だったと思う・・)、元気な女の子が生まれました。とても感動しました。頑張ってくれた妻には感謝してもしきれません。初めて娘に触れ、抱っこしました。血糖測定は僕がしました。足に針を刺し、血液を絞り出し、血糖を測りました。低血糖がなく安心しました。
数年前のことですが、意外と鮮明に覚えているものだなと、記事を書きながら感じました。血糖測定を終えた僕は、たくさんの写真と動画を撮り、妻に感謝し、労り、嬉しさを伝えました。普段から赤ちゃんの出産に立ち会うことは多いですが、やはり自分の子どもの誕生は特別でした。
こんな、日記のようなブログにしていこうと今は考えています。また変わるかもしれません。
大きくなった娘が読むかもしれないと考えると、続けられるかも(笑)。
明日はディズニーオンアイスを見に行こうね。楽しみ。そのあとはじいじばあばのお家にお泊まりだよ。
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